セミナーレポート

MANABI MIRAI MEETING 2017 【基調講演】鈴木 寛 氏 文科省が考える21世紀を生き抜く人を育む教育改革とは? ~文科省が主導する教育改革の本質的目的・ゴール

東京大学教授・慶應義塾大学教授
鈴木 寛 氏
2017.11.10
東京大学教授・慶應義塾大学教授 鈴木 寛 氏
2017年9月23日に、リクルート本社ビルにて開催されたMANABI MIRAI MEETING 2017。半歩先の教育のカタチをみんなで考える場として、多くの教員の方々にご参加いただきました。本レポートは、プログラムの中の基調講演を、書き起こし形式でお届けします。

AIが多くの仕事を代替するこれからの時代を生きる子どもたちにとって、本当に必要な教育とは何か。現在、文部科学大臣補佐官として、2020年に向けた大規模な教育改革を進めていらっしゃる、東京大学教授・慶應義塾大学教授の鈴木寛氏、通称すずかんさんにご講演いただきました。すずかんさんのおっしゃるキーワードは「板挟み」と「想定外」。一体どのような力なのでしょうか。

2015年、日本の15歳の学力はトップに返り咲いている

皆さん、改めましてこんにちは。ご紹介いただきました鈴木でございます。今日はお招きいただきまして、そして、教育の現場の最先端で頑張っておられる皆さま方に、直接、今いろいろなところで話題になっている高大接続改革について、その真意と背景をお話しさせていただける機会をいただきまして、ありがとうございます。

今日お見えの方は大体皆さんご存じかと思いますが、2020年から学年進行で、小中高の学習指導要領が変わります。大学入試センター試験というのは1979年に共通一次試験という形で始まりましたので、約40年ぶりの大改革ということになります。私は、8月に選ばれた林芳正新大臣のもとで4度目の文部科学大臣補佐官に就任いたしまして、この改革の取りまとめをさせていただいております。

今日は時間の関係上、高校・大学のお話に絞ってお話をしたいと思いますけれども、ざっと日本の現状について確認をしておきたいと思います。

今、私はOECDの教育スキル局、シュライヒャー局長のもとで、OECDの教育スキル局のアドバイザーもさせていただいていますが、15歳の学力、いわゆるPISA調査ということですが、ここにいらっしゃる方はもうご説明するまでもありませんけれども、2000年代はPISAショック、あるいは学力低下問題ということで、日本中が大騒ぎになったわけです。

それが今現在どうなっているかというと、2012年、そして2015年、読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシー、この3科目を総合すると、35のOECD加盟国中、日本の15歳は堂々トップに返り咲いていると。この事実をしっかりとまず皆さんと共有させていただきたいと思います。これは、まさに現場の教員の皆さん、あるいは地域の皆さんのおかげです。我々はやればできるということをまず確認してスタートをしたいと思います。

もちろん小学校も中学校も、いじめの問題だとか、不登校の問題だとか、あるいは発達障害に対する特別支援、そういった課題がもちろんあります。そうしたことについてはしっかりと取り組んでいかなければいけないわけですが、こと学力については、この素晴らしいパフォーマンスにある、ということです。

これはOECDのデータだけですが、TIMSSを見ると、これも非常にいいパフォーマンスを出していますので、そこはもっと現場の教員の方には自信を持っていただきたいなと思います。ただ、世界でナンバーワンの15歳を、高校で伸ばしているのか、大学で花開かせているのかと胸に手を置いて考えてみますと、私も大学に本籍を置く者ではありますが、そこはまだまだやるべきこと、認識を変えるべきこと、いろいろあるんじゃないかなと思っています。

人生100年時代を生きる子どもたちのための教育改革

今回の改革において、まず小学校における英語教育、これは非常に大きな改革です。また中学校においては、もちろんアクティブラーニングという方向に向かってすべての教科、あるいはカリキュラムマネジメント、これを変えていくという方向ですが、今うまくいっているところはきちんと引き継いでいくという考え方です。しかし、高校については相当ドラスティックに変えていこうと考えています。今日はその内容をお話したいと思いますが、まず現状認識から確認をしていきたいと思います。

なぜ今教育改革なのかということについて、文部科学省の若い人たちによく言うんでが。2020年から本格化するわけですが、この教育改革の恩恵と言いますか、影響を受ける児童、生徒というのは、何年まで生きるのかということです。

ちょっと考えていただければ答えは明らかですが、女子は確実に2100年まで生きる。女子の平均寿命は107歳になるという説もありますので、安倍内閣も、人生100年時代プロジェクトを立ち上げました。となると、まさに22世紀まで生きて、そしてこの子たちが、この次の世代が、22世紀を作っていく。そういう次世代の、まさに基礎、基本、土台、ベースというものを我々が用意をしていくということが、今回の教育改革の非常に重要な点だということです。

ではこれからの100年間というのはどういう時代になるのか。私の大学での専門は、「近代という今の時代を卒業する」ということで、「卒近代」、これは私の造語なんですが、そう呼んでいます。

下村元文部科学大臣は、150年ぶり明治維新以来の改革ということをおっしゃっています。私はイギリス産業革命以来の300年ぶりの改革だと言っていますが、あながち大げさでもないなということを、やればやるほど感じているところです。

では、近代化とはなんだったのか。イギリスで始まった産業革命というのは、一つのモデルを不良品なく、大量にコピーする。そういったことがGDPを増やし、さらに個人所得を増やす、ということでした。そうすると、まさに「工業社会に資する人材の育成」ということが各国の課題となり、我が国では、この150年間、まさに富国強兵のコンセプトのもと、見事その教育に大成功しました。1980年代には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本も出ました。

その時の教育目標は何だったかというと、与えられたマニュアルをちゃんと覚えて、それを高速に正確に再現する力。まさに定型業務処理能力というものが生きる力そのものだったんです、工業社会においては。そういう人材が、いわゆる生産性の高い工場の工場労働者として好まれて、そういう人材をたくさん抱える、ミスの少ない、不良品の少ない、そういう工場がパフォーマンスを上げ、そういう工場をいっぱい持っている日本の会社がまさに世界でジャパン・アズ・ナンバーワンになったということです。

21世紀は、知を創造する、問題を解決することに価値がシフト

しかしながら、21世紀はどういう時代になってくるのかというと、大量生産、その裏側に大量のエネルギー消費。まさに、福島原子力発電所事故により、大量エネルギー消費社会というものの問題を、我々が強く認識をさせられたわけです。あるいは環境問題、CO2と、この大量生産社会の、また大量生産消費社会の「負の側面」というものが今非常に大きな問題になってきているということです。

そういう中で、人工物を大量に作っていくということよりも、知を創造する、あるいはいろいろな問題を解決するということに、価値がシフトをしてきています

とりわけ、この大量生産、定型反復業務。こういうことはどんどんデジタルテクノロジーにより、自動化されていく。人間の仕事ではなくなっていく。その一方で、人工知能、あるいはロボット、バイオテクノロジー、Internet of Everything、こういう科学技術が飛躍的に加速をしているということですし、それとともに、国境、国の壁というものが本当になくなってきているなと思っています。

今グローバル化ができていないのは、永田町と霞が関と県庁ということで、本当にそうなんです(笑)。

(会場笑)

私はこの4年前ぐらいから、まさに解き放たれておりまして、1年間に60日から70日ぐらい本当に(世界を)飛び回っておりますけど、それまで12年間いた世界がいかにドメスティックだったかということを痛感しています。これはしょうがないですね。国家公務員とか地方公務員というのは、基本的には外国人が入れない職場ですから。

ですから、基本的に国家公務員と地方公務員と、日本語でやっているメディア。この三つ以外は、すでに農業現場でも工場でも、あるいは漁業の現場でも、建設の現場でも、グローバル化というのは進んでいて、まさに社内メールがノンジャパニーズ、ネイティブスピーカーとのコミュニケーション、という状況に入っているわけで、そういったことを踏まえた議論をしていかなければいけない。

人工知能によって代替される仕事

最近非常に話題になっていますが、2045年ぐらいに人間の知能が人工知能によってオーバーライドされる、つまり超えられる、ということがよく言われていますが、もうすでにそういうことはどんどん進行している。45年まで待つ未来の話ではなく、今の話です。
人工知能やロボット等による代替可能性が高い100種の職業(50音順)
それから、私のメル友でもあります、オックスフォード大学のマイケル・オズボーンは、47パーセントの仕事がなくなると言っている。ただ日本でこの話をすると、悲観論ばっかり広がってしまうのですが。

これは私にも責任があって、シンポジウムに出かけていって今からお見せする、野村総研とオズボーンがやった「なくなる仕事」という、これを広めてきた。ただ、50パーセント減るけれども、同時に、60パーセント、70パーセント、新しい仕事を、AIの本質を理解してつくり出すという、そういう意味では創業というものも重要になるんです。
これは、もうすでに今日お集まりの皆さま方は大体ホームページをチェックしておられると思いますが、今お母さんたちの最大人気職業であります公務員というのは、代替可能性の高い100業種のトップに入っていますので、少なくともそのことだけはきちっと保護者の皆さまに伝えていきたいなと思っております。これもなくなる仕事でございます。
人工知能やロボット等による代替可能性が低い100種の職業
一方で、今日、こちらに学校の先生方、大変多いかと思いますが、おめでとうございます、ちゃんと小学校教員も中学校教員も、代替可能性が低い100業種に入ってございますので、安心して教育改革に励んでいただければと思います。

しかし、おそらく、これから藤原さんなどからもお話があると思いますけど、教師という仕事の役割とか、期待されるものが、かなり、135度ぐらい変わるんじゃないかなということはあると思います。つまり、教師の中でも、AIに変わられてしまう教師と、残る教師ができると思います

小学生はYouTuberの方が確かに残ると直感的にわかっている

職業に貴賤はありませんが、今小学生の最もなりたい仕事は、YouTuberです。でも、小学生のセンスのほうが当たってるのかな。YouTuber関連業務の方が、確かに残るんだなということを直感的に彼らはわかっているのかな、という感じがします。
東京大学教授・慶應義塾大学教授 鈴木 寛 氏
こういう時代でよく聞かれます。これからどうなるんですか、と。私も相当いろんなところに行って、OECDに出かけていったり、あるいはダボス会議、11月にドバイである、世界経済フォーラムのGlobal Future Councilのメンバーもしています。世界中からいろいろな、未来ということを語る人たちが集められて議論をするんですが、そういうところに出ている私ですらわかりません。

不確実であるということが確実だということで、とにかく混迷し、どんどん不確実になっていって、そして科学技術の進歩も、良いこともあれば悪いこともある。グローバル化ということが、外に出ていくこと、つまりアウトバウンドだけがグローバル化だというわけではない。コンビニに行っていただいたらすぐにわかるわけですが、まさに自分たちの足元が、本当に日常的にグローバル化していくということです

AI時代に生き残るキーワードは「板挟み」と「想定外」

結局そういう中で、私はキーワードとして、「板挟み」と「想定外」ということを申し上げています。結局、ジレンマ、あるいはコンフリクト。矛盾とか葛藤とかトレードオフ、あちらを立てればこちらが立たずと、こういう問題にどんどん板挟まれていく。こういう時代に入っていく。当然、価値観がいろいろな人たちが、共存・共栄・共生していかなければいけないということになれば、まさに毎日が板挟み、ということになるんだと思います。

AIは、こういう板挟みの連立方程式をぶち込んでも「解なし」でいいわけです。しかし、我々生身の人間は「解なし」では困る。そこにまさに、一般普遍解はないかもしれないけれども、個別暫定、そして藤原さんの言う「納得解」というところを見出していく。

しかしそれは暫定解ですから、次の日にはまた修正をするかもしれないし、例えば北朝鮮情勢が変わってきたら今までの常識はまったく非常識になるといったような、日々、ここに結論を出していくというようなことが、人間の仕事になってくるだろうと思っています。

そういう意味で、今回キーワードとしてアクティブラーニングということを言っていますが、アクティブラーナーにする最大の教育方法、教育環境の一つがプロジェクトベーストラーニングだということを私は言っております

今、東大が事務局をやりまして、OECDイノベーションスクールネットワークというのをやっています。8月2日、3日、4日に世界から300人の高校生を招きました。これは「グローバルプロジェクトベーストラーニング」を国内外の高校生が協力してやっています。とにかく、プロジェクトをやると必ず、具体的な問題をやる時に板挟みにあうんです。

時間がない、あるいは部活や、親との板挟み、友達との板挟み。いろいろな板挟みを経験します。必ず、時間かお金か、人は、ないんです。足りないんです。それが十二分にあるということはないんです

そういう意味で、やはりいろいろな板挟みというものを経験するために、このプロジェクトベーストラーニングということを非常に重視しています。このことが、後でご紹介申し上げますけども、高等学校の理数探求と総合的な探求の時間ということで、反映をされるということです。

それから、教養教育ということがよく言われます。今私は東京大学で「学芸饗宴」というタイトルの、教養学部の1、2年生の学生に対して、学術と芸術、この両方についての、いわゆる「教養教育」のベストプラクティスづくりをしています。議論だけしていてもしょうがないので実践してみようということで、今この4月から始めております。ここでも私のコンセプトは、板挟みです。

板挟まれたその時に歴史をひも解けば、板挟みの中で苦闘した先人、先哲、あるいは地図帳を開けば、日本なんていうのは非常に楽なもんで、中東やアフリカへ行くと、ものすごい板挟みの中で頑張っている人たちがいっぱいいるわけです。

そういう、ちょっと時空を変えれば、もっと頑張っている人がいる。あるいはその頑張りの中での知恵、あるいはそれに対するパッションや、志。こういったことで、勇気や知恵をもらうということのために、人は板挟まれて初めて真剣に考え始める。そのために、私は教養教育をやるんじゃないかなと思っています。それから、まさに先行き不透明な想定外と向き合うために何を守るか、そのためにどういう教育をしていくのかということが課題です。

「釜石の軌跡」の、「想定外を生きる力」に学ぶ

私が参考にしている事例があります。2011年の東日本大震災での、釜石の奇跡というお話を皆さまご存じかと思います。(岩手県釜石市内の)当日登校していた小学生、中学生は全員生き残られました。不幸にして、その日風邪やいろんな理由で、病気や登校していなかった児童の皆さん方の中には、大変残念ながら命を落とされた方がいらっしゃるわけでありますが。

その検証をした時に、2004年から7年間、群馬大学の片田先生が、まさに「想定外を生きる力」というコンセプトで7年間教育をしてきた。その成果が、見事に釜石の奇跡につながったわけです。

その片田教育のエッセンスは何かというと、想定やマニュアルに頼りすぎない。どんなときでもミスを恐れず、ベスト、最善を尽くす。指示を待たずに率先者になる、と。この三つをたたき込んだ結果、想定外対応能力ができたということです。

振り返って、20世紀の私たち日本の教育は何をしてきたかというと、「マニュアルを覚えろ」「ミスを減らせ」そして「指示するまで動くな」ということを、徹底して教えてきたわけです。

そのことに大成功した。例えばJR東海は素晴らしいですね。1時間になんと15本、新大阪から東京間、新幹線が秒単位の遅れなく、毎日事故なくやっている。約50年。これは奇跡的で、こんな国は日本以外ありません。

そういった、ものすごいハイスペックなサービスができるという日本の良いところは、きちっと残していきたいと思いますが、しかし、なんでも過ぎたるは及ばざるがごとしというか、バランスというものが重要です。想定外対応能力もありながら、引き続き4分に1回、300キロの鉄の弾丸を、安全にオペレーションできる。そういうところも残していきたい。欲張りなことを言っているわけですが。

そういう意味でまさに想定外、板挟みと向き合い、乗り越えられる人材。それから、AIで解けない課題に向き合える。そして、創造的、協働的。こういうような人材を輩出していこうということです。

「アクティブラーニング型パッシブ教育」が広がらないようご注意を

最近、これも私に責任があるんですけど、私が2009年文部科学副大臣に就任したときに、記者会見で、すずかんさん何がやりたいですか、と聞かれて、脱指示待ち人間です、と答えた。ここで日本中のパッシブラーナーをアクティブラーナーにしたいと言ったことが、このアクティブラーニング協奏曲につながって、最近アクティブラーニング型机とか、アクティブラーニング型なんとかとか出てきて、ちょっと若干私も複雑な気持ちでありまして(笑)。
(会場笑)

今日も関係者がいらっしゃるので、あんまり営業妨害はしたくないんですけど、机を変えてアクティブになるならそんなめでたいことはないわけでありまして。この「アクティブラーニング型パッシブ教育」が広がらないようにぜひ注意をしていただきたいなと。型ではなく精神のところが重要です。

そういう中で、文部科学省、ここはすでに学校教育法で、①知識・技能、②思考・判断・表現、③主体性・多様性・協働性と、こういうようなことがいずれも重要ですよとうたわれています。そのことは学習指導要領に反映をされ、教科書に一部かなり反映されています。そして、小学校の教員は、相当その方向に努力をしてくださっています。中学校の教員もまあまあ努力をしてくださっています。その先行事例として、和田中の「よのなか科」というようなメソッドも確立したわけです。

しかしながら、高校になると、「学校教育法なんて関係ねえ。学習指導要領なんて関係ない」と。今、高校の教科書を見ていただくと、相当、思考力・判断力・表現力に留意した、良い教科書はいっぱいあるんです。だけど、その部分になると、もちろん何割かの教員はそれを一生懸命やっていただいているかもしれませんけども、これは受験に関係ないからということで、飛ばしてしまっているところが、ないわけではない。こういったようなことを、何とかしなければいけないな、という話です。

OECDも必要な教育として挙げる、「板挟みと向き合う力」

こういう議論は別に日本だけでやっているわけではなく、私が所属しておりますOECD Education 2030プロジェクト、これ私NO.2をここでずっとやっているんですけども、ここでも、ナレッジ、スキルは重要なんだけど、注目していただきたいのはAttitudes and values。前向きにいろいろ向かっていく。そういう姿勢が非常に重要なんじゃないかと。
Attitudes and valuesですが、さらに注目していただきたいのは、Creating new values、というのはそれはその通りだなと。あるいは、Taking responsibilities、こういうことも大事なんですが、このCoping with tensions & dilemmasですね。まさに板挟みなんです。板挟みとどう向き合うのか。僕がやっているということもありますが、OECDの2030に必要な教育のcommon、valueとしても、こういったまさに板挟みと向き合う力というものが、オーソライズされている。日本の教育改革と完全にシンクロナイズしているということです。

セルフコントロールよりも重要になる、エラボレーションストラテジー

では具体的にどういうことになるのか。まず、学習指導要領を抜本的に改正いたします。後でもう少し大きなところでお見せしますけれども、特に社会科教育、歴史。暗記の権家といわれてきた歴史、あるいは地理。こうしたことを、まさに思考する歴史教育、考える歴史教育ということに変えていきます。
あるいは道徳についても、考える道徳というコンセプトをまさに先行的に始めています。それから公共。これも後で申し上げますけど、公共というのは、まさに板挟みの状況になったときにどうするのかと、板挟みと向き合う力というものを公共で育んでいく、ということです。政治というのは、いずれも大事な価値にあえて優先順位をつけるということなんです。そういう意味でのトレードオフだったり、コンフリクトと向き合う能力というものを公共で身に付けていく。そして、プロジェクトベーストラーニングということで、理数と探求とか総合探求と、こういうことをやっていこうということです。
これもきちっとエビデンスがありまして、2015年のOECDのPISA調査。もちろん3科目測っているんですけど、今回は特に科学的リテラシーについて非常に深いリサーチをしております。

これは非常に面白いことがわかっていまして、メモライゼーション、要するに知識を覚えるということ。それから、セルフコントロール、生徒が自分で自律的に自分の学びをデザインし、それをセルフコントロールするということ。

それから3つ目、エラボレーションストラテジー。これ日本語でどういうふうに訳したらいいか今考えているんですけども、探求的な方略というか戦略というものを、どうやって自分で立てて、いろいろな難問をどうアプローチしていこうか、ということ。仮説を立てて、だけどそんなにすぐにうまくいきませんから、それをもう1回検証して見直して、といったような。まさに大学で本来やりたいようなことがエラボレーションストラテジーだ、というふうに考えていただければいいと思います。

非常に面白いことは、中国侮りがたし、なんです。メモライゼーションといえば、昔は東アジアの専売特許みたいなことだったんですが、実は日本も今や、15歳まで、つまり小学校・中学校教育ではちゃんと変化している。メモライゼーション中心の教育から変わってきて、日本の15歳というのは、ちゃんとセルフコントロールの能力を獲得している。だからセルフコントロールということで言えば、日本の15歳というのは、これまた最優位にいて、そういう意味での教育というのは成功している。

ただ、OECDのアンドレア・シュライヒャー局長の主張は、これからはメモライゼーションはAIがやってくれるセルフコントロールは大事なんだけども、もっと大事なのは、まさにこのエラボレーションストラテジーである。何かよくわからない込み入った問題に対して、どういうふうにそれを攻めていくのか。問題を把握し、あるいは問題を再設定し、そしていろいろなリソースを集めて、それに対するソリューションをチームワークで提供することなんだと。

こういう方略については、どこの国もまだまだ今から課題であり、よーいどんの状態なんですけど、半歩、中国上海が進んでいるということで、これからエラボレーションストラテジーをめぐっては、日本と中国とシンガポールの、いい意味でのコンペティションとコラボレーションが始まると、こういうことです。

学習指導要領のPDCAサイクルを回す

それから、もちろんPDCAサイクルを回すということですが、高校生は100万人いますが、受験をする、つまり大学に行くのは50万人です。やはり残りの50万人にも、それぞれの進路やキャリアに応じた、学習指導要領が想定しているしっかりとした学力を獲得してもらうと。

今まで日本は履修主義でやってきました。もちろん法律の制度上、履修主義は引き続き建前としては残しますけど、修得主義の実質化、これをやっていきたいということであります。そのためには、きちっとPDCAサイクルを回していって、そのための診断を入れます。ただこれ、診断はチェックのところに入れるわけで、一番大事なことはアクションですね。

我々が議論をしていきたいのは、小学校・中学校の教員の質と数について、これは文部科学省が3分の1、教員の人件費を出しています。あるいは3分の2、県が出しています。このことは、良くも悪くも毎年文部科学省と財務省との一大折衝の話題になっているので、文部省の要求が通った年もあれば、財務省に押し込まれたときもありますが、いずれにしても、アジェンダとして、問題として設定されている。

問題は、高校の教員の質と数です。これは、地方交付税、ちょっと難しい話になりますけれども、文部科学省は直接総務省からまとめて県に渡されるお金の中で、あるいは市に渡されるお金の中で、知事や教育委員会がやりくりをする、という話ですので、基本的には、その県の高校の、私立であれば私立の経営者、県立・公立高校の場合は、その設置者の裁量に任されている部分が非常に多いわけです。

47都道府県を見比べてみますと、県によって相当、高校の教員の数、そして研修をはじめとする質にばらつきがある。そういう意味で、民主主義は非常に重要で、県知事選挙とか県議会選挙の時に、公立高校の教員を増やすとか減らすとか、あるいは充実させるとか、あるいはそこにどういうふうに予算をつけるというアジェンダに、ほとんどならないと思うんです。こういうことをきちっと市民県民がフィードバックしていくと、その県は上がるということを、そういうことはもっと大事だぞと。その起爆剤に、こういうものを入れていきたいなと思っているところであります。

大学入試選抜で「加点主義」である記述式を導入する意味

そして、最大の関心事項であります、大学入学共通テストなんですが。ご案内のように、英語は4技能を入れていくことと、記述問題を導入する、ということであります。これは後でもう1回詳しくご説明します。これは、共通テストだけではなくて、個別入学者選抜試験でもやっていくということです。さらに思考力を問う社会科、地理総合、歴史総合、公共、総合的な探求に変えていきます。
歴史について一言だけ申し上げます。私が大学受験をしたときは、世界史にしても日本史にしても、山川出版社の教科書、用語集のターミノロジー(専門用語)は2500でした。今の高校生は大変で、5000ですよ。これ、日本学術会議が非常に精査してくださっていて、すでに日本史2000、世界史2000、ターミノロジーを精査していただいています。ただそれをもっとディープに理解しないと、文脈ということで理解するように、そういったことなども始まっている、ということです。

某有名私立大学、受験生がいっぱいいるところも、社会科の入試を今回抜本的に変えるという大英断をしてくださっていますので、私立大学の入試も、特に社会科の入試が変わると思います。

そこで大学入試選抜です。共通テストというのができます。今までは択一問題のみでした。マークシート試験、あるいはマルチプルチョイス試験。これはどういう試験かということを皆さん考え直していただきたいんですけど、人から与えられた選択肢の重箱の隅をつついて、そして小さな間違いを発見して、それのいちゃもんをつける。そして消去法で正解を選ぶと。こういう作業を高校3年間ずっとやっているわけです。下手したら中学校から6年間やっているわけです。

日本のこの炎上社会、あるいはクレーム社会、これのベースをつくっているのは実はマークシート偏重型入試ではないかという大胆な仮説を私は持っているんですが(笑)。もちろん私はマークシートを全面的に否定しているわけではありません。しかし、それのみというのは、世界中の共通テストを見ても、これは日本だけです。やはりそこにきちんと記述式を導入していこうと。共通テストですから、なかなか本格的なことはできませんけれども。しかし、マークシート試験というのは正解があって、減点主義なんです

記述式というのは加点主義です。何にも書いてなかったら0点、何か書いてあったら1点、良いことが書いてあったら3点、それが3つ書いてあったら7点と、こういう風に、どんどん加点していく。55万人の答案、極端なことを言えば全部違うわけです。一つとして同じ回答がない。一方で、マークシートというのは、全員同じ答えです。

我々がなぜ記述式にここまでこだわるのか。いろんな批判は承知しています。採点の公平中立性は大丈夫なのかと。ですが、だったら今の企業の採用、そんなに中立公正客観的にやっているのかということです。

要するに、教育の世界だけは非常に神聖な感じで、中立公正客観でやっていても、結局社会に出た時、あるいは就活の時に何か違うぞと気づきます。さらに社会に出れば、もっともっといろんなファクターでもって物事が決まっていくわけですから、学校の常識と社会の常識をちゃんとシンクロナイズさせていくということが大事だと思います。

私は3回フランスに行って、記述式のみのフランスのバカロレアをどうやっているのか聞いてきました。何度も何度も採点のことを聞きましたが、統一基準をつくって、そして任せているから大丈夫だって。いや、日本だってそんなことは当然やっていると。じゃあ何人で採点しているんだって聞くと、1人だと言うんです、フランスは。

私は某私立大学の教授もやっていますから、何人でやっているということは言えませんけれども、我々は少なくとも、当然1人ではありません。非常にいろんな多角的な角度から、慎重にやっています。そこでわかったことは、やっぱりものさしのマス目、これの切り方がフランス人と日本人は全然違うんだなということです。

あるいは、オックスフォードのトップに、私は何度も聞きました。オックスフォードも非常に主観的な入試をしているわけですけれども、それを言ったら、お前たちの不公平の定義は何だと詰め返されました。要するに、そういうお金があって家庭教師をつけられて受験の準備がちゃんとできている生徒と、そうでない生徒で差がつくことの方が、もっと不公平じゃないか、あるいは能力があるのに、その日たまたま体調崩した生徒が不合格になることの方がよっぽど不公平だ、みたいな話で。おっしゃる通りです。

国公立大学はAO推薦の枠を3割に

個別選抜、むしろこっちの方が影響は大きいと思います。まず国立大学は、AO推薦の枠を3割にするということを方針としてすでに決めています。これはいきなり「え?」と驚かれるかもしれませんが、実は、もうすでに名古屋大学、東北大学では2割です。筑波大学はもうすでに3割です。おそらく筑波は5割くらいまでいくでしょう。名古屋と東北は3割までいくと思います。
東大と京大がただ遅れていただけの話で、東大と京大は今100人、定着しつつあります。おそらくもう少し増えていくと思います。もちろんバリエーションはありますが、トータルとしては3割ということになります。

まさに高校3年間で、探究活動だとか部活動だとか、まさにプロジェクトベーストラーニングをしっかりして、板挟まれの経験を積んできた人たちが、どういう経験をしてきたのかということを問われ、そして選抜されるという枠が、3割になっていく。同時に、調査票の多面的な評価ということで、改革が今、なされようとしています。

ぜひ皆さんに見ていただきたいのは、フランスのバカロレアの入試問題です。大学で学ぶことを目指すすべてのフランス人は、この試験を3~4時間受ける。まず初日は哲学から始まります。理系であってもこの問題の解答を長時間書き続けられる。そして、大学に入って学ぶ。そういう若者と、これからの日本の教育で育った若者は、まさにコンペティションしてコ・クリエーションする、競争し共創していかなければいけないと、そういう時代に入っていくんだということです。(現状、日本の受験生は)やっぱりものを書くということが本当にできていないという課題もあります。

共通テストが入るとか、学習指導要領が変わるとか、こういうことは皆さま方も情報としてはご存じだとは思います。その背景にあるのは、やはり300年ぶりに歴史が変わっていく、こういう中を生き抜いていくための、まさに教育改革を進めているんだということです

教員も学び手としてのロールモデルとなる

もちろん、探求をやるということになると、相当な負荷がかかるということは、私どもも承知しています。私どもも最近は地方にお話しに行くことが多いんですが、そういう中でも出てきます。

教員の充実についても、県知事さんの理解も得ながら、我々文部科学省も47都道府県知事にしっかりと働きかけていきながら対応していきたいと思います。しかし、そもそも探究活動を教えることは無理です。つまり、教員も教えるのではなく、生徒の中に入って一緒に学ぶというふうに考え方を変える必要があるということです。要するに、未知なるものに向かい合ったとき、複雑に込み合っている問題を発見して、そしてそれをもう1回設定して…ということを、一緒にやる。

それを、半歩先に、いろいろな経験を積み、そしてまさに生徒よりも何十倍も何百倍も学んできて、学ぶ意欲、学ぶアティチュードができている先生、教師が、その背中でもって感化していく。そうして、生徒の探求力というものを磨いていく。

ですから今こそ、生徒を学ばせるためには、我々のジェネレーション、保護者も教育行政の者も、あるいは我々学者も、今までのアプローチを改めてもう1回学び直していく、つくり直していく。そして教員の皆さんも、まさに学び手としてのロールモデルになっていただく、ということで臨んでいけば、この探求の指導という問題についても乗り越えていけるのではないかなと思っています。

イレギュラーに対応できる力を

日本の教育現場は、サッカーに例えると、本当にきれいな整備された芝の上で、イレギュラーバウンドのないサッカースクールのようなものです。そういう教育を今まで目指してきました。そして、少しでもイレギュラーバウンドをすると、グラウンド整備がなっとらんと、保護者も社会も、あるいはメディアも、クレームをつけてきたわけですけれども、その頭を変える必要がある。

海外に行くと、グラウンドというのは、どこかが芝がはげていたり、凸凹があったりして、イレギュラーバウンドするものなんです。私は日本サッカー協会の理事ですけど、イレギュラーバウンドしたボールに、足が出るか届くかと、この3センチ、足が出るかどうかというところで、得点が入るかどうかと。そういう勝負なんです。

こういうイレギュラーをも、子どもたちの成長のきっかけにしていく。そういうふうなマインドセットへの転換というものを、ぜひ、教員文化、学校文化、これは文部科学省の文化も含めてですけれども、変えていく、こういうチャレンジに取り組んでいるところでございます。ぜひ皆さま方も、この歴史的な難題を、一緒にコラボレーションしていただければということをお願い申し上げまして、私からの基調講演に代えさせていただきます。ご清聴いただきまして誠にありがとうございました。

MANABI MIRAI MEETING 2017  鈴木 寛 氏 文科省が考える21世紀を生き抜く人を育む教育改革とは? ~文科省が主導する教育改革の本質的目的・ゴール~

2017年9月23日に、リクルート本社ビルにて開催されたMANABI MIRAI MEETING 2017。半歩先の教育のカタチをみんなで考える場として、多くの教員の方々にご参加いただきました。

AIが多くの仕事を代替するこれからの時代を生きる子どもたちにとって、本当に必要な教育とは何か。現在、文部科学大臣補佐官として、2020年に向けた大規模な教育改革を進めていらっしゃる、東京大学教授・慶應義塾大学教授の鈴木寛氏、通称すずかんさんにご講演いただきました。すずかんさんのおっしゃるキーワードは「板挟み」と「想定外」。一体どのような力なのでしょうか。
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