「アウトカム重視の改革」から「計算不可能なことを設計する」改革へ
皆さんこんにちは。東京新宿にございます、私立海城中学高等学校の校長特別補佐、国語科の中田と申します。本校の校長は、初の民間企業出身で、まだ今年で3年目なんです。決してお飾りというわけではないのですが、間違ったことを伝えてもいけないということなので、私が行くように指示を受けました。僭越ですが、私からお話をさせていただきます。
「新宿にあります」と言うとちょっと格好良さげなんですが、より詳しく言うと、新大久保です。韓流の街で、ひょっとすると日本で一番猥雑かもしれない場所です。立地は決して良くありません。
イメージもあまり良くなくて、いわゆる御三家レベルの男子6年一貫校といえば、例えば麻布さんだとか駒東さんというのはスマートで、例えて言うならばシトラスの香りがするような、そんなイメージですけれども、うちの学校にはすぐ近くにロッテの工場がありまして、いつも甘いガムの匂いがする、そういう学校です。その工場も今年の夏ついに解体されましたけれども。
そういったあんまりイケていない学校ですけれども、そんな学校の改革の歴史についてお話したいと思いますので、しばらくお付き合いいただければと思います。
さて、本日私が持ってまいりましたテーマは、ちょっと難しい言葉ですけれども、「アウトカム重視の改革から計算不可能なことを設計する改革へ」というものです。
本校、実はこの四半世紀、永続的に学校改革に努めてまいりました。1990年代が第1期、2000年のゼロ年代が第2期、そして今の10年代は、第3期の半ばを過ぎたところです。
第3期へきて、我々の改革も一つ、新たなフェーズに入ったかなと感じています。質的な大きな転換を迎えようとしているということです。それを「アウトカム重視の改革から計算不可能なことを設計する改革へ」とまとめました。
平たく言いますと、これまでは、「こういった能力を持たせるために、こういったプログラムを用意し、それを子どもたちに与える」と、そういう設計主義的な改革でした。
それがここにきて、「すぐに何らかの能力、あるいは実用的なものにつながるかどうかはわからないけれども、ひょっとするとこれが将来何か熟成したり、他のものと化学反応をして、大きな花となって開くかもしれない。そこにこそ、未来に対する可能性、希望があるのではないか」という考えの元、新たな改革を、我々は一歩進めつつあるということです。
この改革の歴史をたどりながら、我々が歩いてきた道と、その後我々が目指す方向についてお話申し上げたいと思います。