SEMINARセミナーレポート

MANABI MIRAI MEETING 2017 【トッププレゼンテーション】札幌新陽高等学校 荒井 優 校長 〜素人が校長に着任して1年目で生徒数が倍になったのはなぜなのか? 2年目はどうなのか?〜

札幌新陽高等学校(北海道)
荒井 優 校長

2017.10.31その他

2017年9月23日に、リクルート本社ビルにて開催されたMANABI MIRAI MEETING 2017。半歩先の教育のカタチをみんなで考える場として、多くの教員の方々にご参加いただきました。本レポートは、プログラムの中のトッププレゼンテーション講演を、書き起こし形式でお届けします。

産業界から急遽、祖父がつくった高校の校長に転身することとなった札幌新陽高等学校の荒井優校長。着任して1年目で生徒数が倍になりました。そこにはどんな理由があったのか。荒井先生は、「大切なのはハウツーではない」とおっしゃいます。今、教育業界に限らず重要なのは「覚悟」を持つことだとも。教育とは何か。誰のために学校はあるのか。そんな根源を考えさせられる素晴らしい講演です。

産業界から教育業界へ

今日は本当にありがとうございます。実は18年前に、僕はこのリクルートという会社に就職しました。リクルートで妻と出会ったんですけども、今日家を出る時にその妻から、「大したことない営業マンだったのに、卒業してからリクルートで講演するなんて立派になりましたね。」と言われました。褒められたのか、けなされたのか、よくわからないんですが。

でも18年前、このオフィスではなかったんですけども、この会社にいたなということを、懐かしく思いながら来ました。

タイトルに書いてあるように、僕自身は教員免許もございません。ですから、今日お集まりの先生方とは大きく立場が異なると思います。

あとで少し説明をしますが、この学校は祖父がつくった学校ですのでやらざるを得なかった、声がかかったと思っていますが、そもそも教員免許を取ろうとも思ったこともありませんでしたし、学校に勤めたこともありません。

ただ、今日は、産業界にいたからこそ逆に感じることがあるんじゃないかなと思って来ています。

40分という限られた時間ですので、スライドも一応用意はしているんですけど、今日のいろんな皆さんの話も含めて、自分の思うところを共有しながら、何か先生方のヒントになるところがあればいいのかなと思って、5限目をご一緒したいと思っています。

祖父がつくった札幌新陽高校

そもそも僕の祖父がこの学校、札幌新陽高校という学校をつくったんです。祖父自身は、60年前に37歳で商業高校の先生になっています。

戦後、これからは教育だということで、学校と幼稚園をつくりました。その2年後に女子校をつくりました。

実はこの新陽高校、もとは慈恵女子校という名の女子校の校舎が建ち上がる前に、祖父は39歳で死んでしまうんです。僕の父が小学校6年生のときでした。

ですので、僕の父含めて、母子家庭で長い間育ってきました。ただ、父は父で非常に頑張った人だと思いますけども、それこそ一番の高校に行って東京大学に行って農水省に入って、その後思うところがあって国会議員になっています。

実は父自身がずっと、僕から見たら祖母から、「あなたはお父さんが志を持ってつくった学校の校長になりなさい」と言われて育ってきたんです。でも、父はまったく一顧だにせず、東京に行って就職して、帰ってきたと思ったら選挙に立候補しちゃって、みたいな感じで、祖母の遺言を守らずにやってきたんです。

札幌を含めた石狩管内には、公立高校が約50、私立高校が約20校、あわせて約70校の高校があります。その中で新陽高校というのが、どういう学力の水準にあったかというと、中学校の先生方からは「最後の砦だ」と言われるポジションで、高校に行けるかどうか非常に危うい子が、新陽高校だったら引き取ってくれるんじゃないかと、そういう高校です。

ですので、実は荒井家として学校法人を長年運営しているということではなかったんですが、僕も小さいときから「おじいちゃんがつくった学校がある」と。そして、「その学校は皆さんによって運営されていて、ただ、決して地元で評判が高くはないんだね」ということはなんとなく知っていて、ちょっと残念だなと、そんなふうに思っていたところではありました。

そういう最後の砦という学校も、少子化の折を食らってだんだん生徒数が少なくなってきていました。私学ですので、理事会の判断として、今後の学校存続をどうするのか、そんなことが話し合われたようには聞いております。

その中で一つの理事会の人たちが、この先学校の運営をどうしよう、こうしようと、父のところに行って相談したようです。あまり細かく僕は聞いていないんですが、結論としては、父がすべてのちゃぶ台をひっくり返し、「じゃあ俺がやる」と、突然祖母の遺言を思い出したかのように理事長に着任したわけです。

札幌南高校卒、東京大学農学部卒、農水省の議会に1位で入って、国会議員としては受かったり落ちたりですけども、大臣の経験もしているみたいな、そういう優秀な元トップエリートが70歳にして、最後の砦みたいな高校現場に来る。今日お集まりの先生方、ぜひ想像してみてください。

教育長か理事長にそういう人がくると何が起きるかというと、学校現場は大混乱するわけです、当然ながら。

もちろん今の入試の制度も知らない、今の高校生の状況もわからない。そういう中で、理事長然として、こうあるべきじゃないか、こうした方がいいんじゃないか。そういうことを気軽に言うもんですし、先生たちも非常に生真面目ですから、新しい理事長がそう言うんだから、しかも創始者の息子さんが言うんだから頑張らなきゃ、と。

そんなふうに一生懸命すると、何が起きたかというと、2015年の10月に父が着任してその翌月に校長先生が、「ちょっとこれ体がもたないので1月末で退任させてほしい」ということになったんです。

すずかんさん、藤原さんの助言で新陽高校の校長に

新理事長の新しい大きな仕事は、2月1日着任の校長先生を探さなきゃいけないと、そこから始まったんです。理事長も非常に困りまして、相談に行きます。

今日お話をされたすずかんさん(鈴木寛さん)のところに相談に行ったら、すずかんさんは「息子がいいんじゃないか」と言ったというんです。

40年父と付き合ってきて、背中の小さくなった父に、夜、居酒屋に呼び出されたのは、何回か選挙に落選した時と、この時です。

「すずかんに相談したらお前じゃないかって言うんだけど、お前はどう思うんだ」と、父から神妙な顔つきで相談されたのを覚えています。僕自身もそんなことになるとはつゆ知らずでしたので、非常にびっくりしました。

実は私と鈴木寛さんとの出会いは、もう20年前になります。私は大学生のときに、YOSAKOIソーラン祭りという札幌のお祭りの実行委員長をしていました。まだ小さなお祭りだったんですが、大学生だけで運営していた関係もあり、当時通産省にいたすずかんさんにすごく応援してもらっていた。

そういうところから約20年お付き合いはあったんですが、まさか息子さんに(校長をお願いしたら)なんて、ここから来るとは思わなかったんです。当時はソフトバンクの社長室というところに勤めていましたので、突然やってきた話でびっくりして。

それで実は僕も相談に行ったんです。相談に行ったのが、リクルートの大先輩の。

(会場笑)

藤原和博さんのところに相談しに行きましたら、「それはもうお前の覚悟だろう」というふうに、今日の話みたく、一刀両断でした。

「お前の覚悟じゃないか」と言われて、そうなんだなと、自分自身の覚悟なんだと思ったんです。

今日の大きな話の一つのテーマがあるとすると、これはやっぱり「覚悟」だと思っています。これは教育もそうだし、冨山さんにも実はソフトバンクの社長室で大変お世話になっていたんですが、冨山さんのお話にもありましたが、ひょっとすると覚悟というものが、この業界全体に足りないんじゃないか。

それは新陽高校だけではなくて、全般的に足りないんじゃないか。そんなことを、外から来た素人の校長はずっと思っています。

被災地で感じた、目の前の子供たちのための「覚悟」

ソフトバンクの社長室に8年ほど勤務しましたが、長い時間は、東北の震災復興という仕事をメインにやっていました。ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが、東北の震災の直後に、孫正義社長が100億円寄付をする。したのかしないのか、どうなんだ、みたいな話も後でいわれましたけど、実際100億寄付をされました。

その100億の寄付をどういうふうにアロケーション、割り振るか、ということをやらせてもらったのが僕でして。そういう中で、本当に東北に行き来するようになります。

これは、ちょうど原発がある立地の街の、浪江町というところの子どもたちが書いた文章です。役場のアンケートを、浪江町の役場の皆さんが取るんですが、そのアンケートに、子どもたちが書いた文字そのものです。

子どもたちというのは非常に力強くて、彼ら、彼女らは、実は本質を一番わかっているんだな、と感じる経験が現場でたくさんありました。
ちなみにその復興の現場って、大人同士で会議をやると、必ずけんかしか起きなくて、まとまらないんです。

地域には地域のヒエラルキーというのがあります。役場に勤めている人、学校の先生、弁護士さん、農家、漁業者。そういう人たちが大体どれぐらいの年収をもらっていて、どんな背景を持っているかというのをみんなそもそも気にもしていないわけです。

ところがいざこういう災害が起きると、みんな突然他人の財布の中身が気になるんです。おうちが崩れた人、全壊になった人、半壊になった人。そういう人たちが、突然それまでの職業のことが気になったりとか、そもそもお前のおじいさんが原発を誘致したんじゃないかと言い出したりとか、今までなんてことなかった緩いヒエラルキーが一気に崩れると、地域がまとまらなくなります。

そんな中で、これから街をどうするのか、再開するのか、戻るのか。じゃあ学校はどう再開するのか。そんな話をしていくと、大人だけではまとまらなかったんです。

でも、そんな時、例えば浪江町は、この子どもたちのアンケートに常に帰るようにしました。この子どもたちのために我々は議論しているんじゃないか、と、立ち返るわけです。このアンケートは、今でも浪江町の役場のホームページでダウンロードできます。

大人は今のことしかもちろん話せません。だけど、あの子どもたちのためだったら、誰かが何かを我慢して、もしくは大人みんなが我慢をして、次のステップにいけるんじゃないか、そういう話になるんです。

復旧が進んで行く最初のステップは、学校の再開

思い返すと、学校って何のためにあるのか。これも今日のもう一つのテーマなんですけども、学校って何のためにあるかというと、実は学校って当たり前ですけど子どもたちのためにある

ひょっとしたら今日東北からいらっしゃっていたり、災害の対象になった学校の先生方もいらっしゃるかもしれませんが、災害が起きると学校が避難所になります。今日、山口社長もおっしゃっていたように、多くの避難者がいらっしゃいます。

先生たちも被災者になるんですが、体育館は占拠されて、先生は学校で勤めなければいけない。いらっしゃっている地域の方々のサポートもしなければならない。当然そこには自分たちの生徒もいますし、生徒じゃない人たちもいる。でも、そこから復旧が進んでいく最初のステップというのは、学校の再開なんです

ぜひ想像してみてください。体育館にたくさんの地域の人たちがいるんです。ぐっちゃぐちゃの状態です。秩序もない。大人たちは、早く何か次のステップ、家を片付けに行くとか、役所に行って何かを申請するとかしなきゃいけない。

でも、目の前に自分の子どもがいる、他人の子どもがいるという形になると、何も動けないわけです。子どもの面倒を見なきゃいけないから。

学校もまだ混乱している。ところが、1週間ぐらい経って、じゃあ学校を再開します、子どもたちは朝から学校の教室に行って授業を受けましょう、となった時に初めて、大人はようやく家に行って、いなくなった家族を探しに行ったりとか、そういうことができるようになるわけです。

僕が災害復興の現場で感じたのは、学校というのはものすごく大事なところで、子どもが目の前にいるということは、実は地域にとってすごく重要なことなんだということです。

でも、学校の先生たちはわりとその重要性をあまり理解していないんじゃないか。そう復旧復興の現場で感じて、それを常々もったいないと、そんなふうに思っていたんです。

福島県立ふたば未来学園の開校に携わって

今から3年前になりますが、原発から30キロのところにある広野町に、ふたば未来学園という県立高校ができました。この学校のビジョンをつくるところから、この学校の建設に向かって、わずか3年で準備したんですが、僕はその検討の委員に入っていました。

なぜ僕が入っていたのかはよくわかりません。ちなみにその検討の委員には誰がいたかというと、8つの町にまたがっていましたので、双葉郡の8人の教育長、県の教育長、文科省の審議官、内閣府の審議官、復興庁の審議官、そんなメンバーと、あと福島県立大学の副学長、そして僕でした。今でもどうして僕がいたのかよくわかりませんが。

でも、僕が常に問い続けたのは、「じゃあ子どもたちはどう思っているんですか」ということです。今さら新しい学校をつくるのはいいとしても、例えば東京大学を目指すような進学校を今つくって、それに何の意味があるんですかと、常々言っていました。

そういう中で僕がやっていたのは、ワールドカフェというワークショップのスタイルはご存じかと思いますが、そのワールドカフェを開きながら、子どもたちの声を聞き続けました。子どもたちはこの新しい学校に何を望んでいるのか。そういうことをずっとしてきたました。

30回以上、双葉郡子ども未来会議というのを開きました。それを通じて、学校にいろんな新しい手法を取り入れたり、アクティブラーニングも一生懸命やられています。平田オリザ先生なんかから演劇を教えてもらったりもしています。

僕は本当に教育の素人だけど、産業界から参加させてもらっている身として、こういう学校があったらいいなと、そんなことをやらせてもらっていたんです。

こういうことが、実は自分のベースとしてすごくあったのかなと思います。やっぱり復興自体が子どもに関わる、つまり、子どもが大きくなれば地域は復興するんだ。

でも実はこれ、通常担っているのは学校そのものなんです。学校は、子どもが大きくなるためにある場所です。じゃあ本当はそこにもっとフォーカスしていっていいんじゃないか。

そんなことを思いましたので、校長になって1年半経っていますけども、いまだに素人で、学校の細かなことは一番わかっていないと思います。でも、大きなことと深み、学校とは何なのかということは、常々考えて、学校運営にはあたっているつもりです。

仮説→検証→実行のスピードを高める中で、生徒数が2倍に

2月1日に着任しましたので、この年の生徒数は、僕が生徒募集をやっていなかった年のものになるんですけども、定員280人に対して、155人という、この10年間で最も少ない生徒数だったんです。

私学に関しては、生徒数が経営すべての大きな指標になってくると思いますので、この155人という生徒数がまずその指標になってきます。

3年連続で生徒数が下がっていたのですが、結果としては、2月1日に着任して最初の年で、最終的には322人に生徒数が増えました。

自分で言うのもなんですけども、一度も(学校経営は)やったことがなかったんです。しかも、僕自身は公立高校に通っていたので、私立高校の入試をどうするのかというのは、本当に暗中模索でした。去年の今頃、この時期というのは、本当に大丈夫なのかとすごく苦しんでいました。

でも、仮説を立てて、それをしっかり検証して実行していくというスピードを高める中で、なんとかなった

もう一つ結論から申し上げると、今年も生徒募集を今やっていますが、たぶん同じような水準で、少なくとも定員が割れることはないだろうとは思っています。

ただ今日お話ししたいのは、その方法論ではないんです。すいません。実は学校って、方法論に対しての、いい事例というのを、どうやってやったのかというハウツーの部分に対してものすごく興味関心を示されるんです。

でもそれ、すごい間違いだと僕は思っています。新陽高校がこう成功したから、という話が、皆さんの学校で成功するとは限りません。

僕がこの2月1日で校長になったとき、たくさんの人からいろんなアドバイスが来ました。長崎のなんとか高校で、校長先生がこういう派手な格好をしたからそういうのをやったほうがいいよとか(笑)。

なんとか高校ではこういう話があるよ。ICTを入れたらいい。あのツールがいい。そんないろんな話が来るんです。でも、結局僕は素人です。

学校のことはわからないけれども、「覚悟」だけは誰にも負けなかった

2月1日に着任したとき、まさに今日のような感じでした。うちには50人の先生がいました。今日の方がもうちょっと平均年齢が高いかもしれませんが、50人の先生たちが、「お前はそれで何をわかっていて、校長としてここから何をやっちゃうんだ」みたいな、すごく不安そうな目で見てましたけど。

僕が申し上げたのは一つだけです。僕は学校のことよくわかりません。先生たちと違って、教員免許も持っていない。でも、皆さんと唯一違うのは、僕は覚悟を持ってやってきた。この覚悟だけは、ここにいる誰よりも負けない。それだけを言ったんです。

何とかしたいという覚悟を、もちろん先生たちだって現場現場では持っているんだといます。

でも僕には学校全体、それは500人の生徒もいますし、その保護者や卒業生、地域からの期待もあります。

もちろんつくって3年で亡くなってしまったおじいちゃんの思いもあるかもしれないし、理事長として何とかしなきゃいけないと思った父の思いもあるかもしれません。でもとにかく僕には僕の覚悟があった

さっきお配りしたパンフレットの3ページぐらいにも書きましたけども、多くの人から、友達からも、そもそも着任することを反対されました。絶対うまくいかないと。学校の再建なんて何年もかかるし、そんなことをするんだったらソフトバンクでもっとキャリアを積んでいったほうが君にはもっといい人生があるとたくさんの人に言われました。

でも、東北の復興で会った人たちのことを考えたりすると、学校ってなくしちゃいけないと思ったんです。僕がやらなければいつかきっとなくなったと思いますし、なくしちゃいけないという覚悟を持ってやってきた。そういうふうに思っています。

新1年生が参加したYOSAKOIソーラン祭りで得たもの

僕が昔やっていたこのYOSAKOIソーラン祭りというお祭りは、札幌では6月にあるんです。

ですので、入学人数が増えて、300人以上という大人数になった1年生は、4月に入学して6月にやることになる。先生たちからも、それはさすがに無理じゃないかと言われたんです。みんな非常に一生懸命頑張って踊りました。
> 新陽高校のYOSAKOIソーラン祭り初参加映像(動画)

なかでも、僕がすごくうれしかったのは、沿道にたくさんの保護者が来てくださって、保護者がすごく喜んでくれたことです。

学校におけるこういった活動は、だいたい体育祭や運動会で行われるけども、運動会で生徒が踊ると、踊り終わった時に、みんな「ああ、やれやれ、もうこれで踊らなくていいんだ」という感じで終わっていく。でも、このお祭りは違った。

生徒たちは、踊り終わったら「もっとやりたい、もっとやらせてくれ。」と言う。保護者も泣いて喜んでいる。生徒とも保護者とも関係のない人たちまで、たくさんの拍手をしてくれる。 本来学校がやらなければいけない体育的な活動って、こういうことなんじゃないかとすごく感じました。

そしてもう1つ、終わった直後に、北海道の教育委員会のわりとトップの方からも携帯にお電話をいただいて、「お祭り見たよ、素晴らしいね」と言っていただいた。

もともとYOSAKOIソーランというのに関わっていたから、何かきっかけになるんじゃないかと思ってやったということもあるんですけども、でもそういった、教育界で長く勤められていた方から見ても、教育的な効果もあるんだなと。

新しい価値観として、外のものをこうやって使ってもいいんじゃないか。そんなことを逆に認めていただいて、僕は非常にうれしかったんです。

偏差値50以下の教育をどうするかが、日本にとって大事になる

今日はいろんな6校の校長先生がお話しされていると伺っています。そうそうたる学校で、その中には、いわゆる偏差値が高いところがたくさんあると思うんですが、新陽高校はその中でも最も低い、札幌でも一番低いぐらいですから、最も低い学校だと思います。

でも僕、すごく感じているのは、僕自身は偏差値が決して低いほうではなかったんですけど、でも今日本にいろんな難しさがあるんだとすると、やっぱり偏差値50以下の教育をどうするか、というのが大切になってくると思います。

まさに僕ら、新陽高校や、ひょっとしたら皆さんの学校もそうかもしれません。こここそが、実は今日本の一番大事なところになっているんだ。そんなふうに思うんです。

東北の被災地の高校もまさにみんなそうです。あそこだって、みんな決して偏差値は高くない。だけど、彼ら、彼女らがすごく頑張ることで、地域は本当に復興に向けて進んでいるわけです

新陽高校の顧客が生徒ではなくて、母親であるわけ

僕が今日、先生たちと共有できることがいくつかあるとすれば、もしも今日学校の経営に携わられている方がいらっしゃったら、ぜひドラッガーの本をお読みになるといいと思います。

僕はいろんな方のアドバイス、ハウツーのアドバイスは切り捨てましたけども、ドラッカーの本は、学校の校長になるときにもう一回改めて読んだんです。

ドラッカーというのは経営学の泰斗で、一次大戦の前にいたユダヤ人の方ですけども。いろんな本があります。実はドラッカーの本の最初のところ、第2章に、我々の顧客は誰なんだ、ということが書いてあるんです。(P.F.ドラッカー著『現代の経営』)

僕はこれすごく考えました。じゃあ学校にとっての顧客って誰なんだろうということです。

明確に言うと、新陽高校、我々の顧客は、生徒ではないと僕は思っています。生徒ではなくて、やはり母親だろうと思っています

正確な数字はお伝えできませんが、例えば札幌では母子家庭というのは全体の8パーセントといわれています。でも、新陽高校では8パーセント以上です。

もっと高い比率で母子家庭の生徒さんがいます。それでもお母さんたちは、非常に低い年収の中で、なんとか子どもたちを高校に進学させて、卒業させたいと、そんな思いで一生懸命頑張っているわけです。

生徒がその思いをどこまで理解して高校に通っているかというのは謎なときもたくさんありますが。でも、それでもそうやって頑張っている。

例えば、ここはお母さんも毎日遅くまで働いているので、なかなかおうちでは一緒にごはんが食べられないかもしれない。

例えば日曜日にサザエさんなんかがテレビでやっているとき、そのときぐらい、週に1回ぐらい、一緒にお母さんがつくった夕ご飯を食べている。

そんなときに、お母さんが、「最近学校どう?」と聞いて、子どもが何と言うか。その一言で、たぶん、そのお母さんの人生ってものすごい上がりもするし下がりもする

「なんであんな学校に行かせちゃったんだろう。そもそも自分の人生って何なんだろう」って思うのか、「本当にここに行かせて良かった、子どもが一生懸命頑張ってる。」と思うのか。

その一言によって、明日からも、また一生懸命働いて、なんとか学費を納められる分頑張っていこう、そういうふうに思えるんじゃないか。そう思ったんです。

そういう意味では、新陽高校において顧客というのはお母さんじゃないか。そんなことを、ドラッカーの本を読む中でふと思ったんです。

マーケティングの4Pを学校経営にあてはめる

他にもいろいろと書いてあります。例えば、非常に基本的なマーケティングのことなんですけども、マーケティングの4P(Product,Price,Promotion,Place)について。

僕は2回しか生徒募集の失敗は許されないと思っていたんです。つまり、2年連続で失敗したら、素人の校長が現場の先生をマネジメントして引っ張っていくことは無理だろう、3年目は無理だろうと思いましたので、2回しかチャレンジができない。

しかも、学校というのは1年に1回しか生徒募集ができないという中で、最初の1年目というのは、慎重かつ大胆にやらなければいけないと、そう思っていたわけです。

そういう中で、学校が顧客に対してできることとして、このマーケティングの4Pの中で、一体どれができるんだろうというのを真剣に考えました。

例えば、Product、製品というのは、これは教育サービスのことですけども。2月1日に着任していますので、4月からの教育サービスに関しては何もできないというふうに思いました。

でも、Price。ここだったら何か動かせるかもしれないと思いました。一方、流通、Place。これは学校の場所であったり、もしくは本来ならチャネル、どうやって顧客に情報を届けるかというチャネルで、ここは中学校がガチっと握っているところですので、大きく動かすことはできないだろうと。

その中で、このPromotionは、自分自身で何かできることがあるかもしれないと思ったんです。ただ、プロモーションとして、Facebookを書いたり、いろいろやっていましたけども、それでもこのままだったら定員に満ちるところまではいかないんじゃないかと、自分なりにいろんな分析をして思ったんです。

定員には届かないんじゃないかと思ったときに、改めて、じゃあ自分が打てる手は、プライシングなんじゃないかと思いました。

入学金の25万円をなくす決意

なぜか入学金というものがあって、札幌の場合は大体どの学校も25万円なんですけども、じゃあこの25万円というのは何を意味しているのかという。

他の県のことも調べました。入学金があることで来たい人が来れないんだとすると、もっとやるべきことがあるんじゃないか。そんなことを思ったんです。こんな感じで考えました。

自分自身が築60年のアパートの経営者だとしたらどうだろう。3階建てのアパートです。それぞれの階は半分しか埋まっていません。地域の皆さんからは、オンボロで、住んでいる人たちも大丈夫かなと、そんなふうにも思われているようなアパート。

ですが、敷金礼金は、隣の施設も立派で、人もたくさん住んでいて、すごくみんな頑張っている、超高層マンションと同じだとする。そうすると、確かに誰も来ないだろうと思ったんです。

ですので、まずこの敷金礼金をなくすことを考えてみました 。言われているほど、決して学校も生徒も悪くないと思いましたので、オープンスクールに2回来てくれたら、この敷金礼金、入学金の25万円をなくしますと、そういう話もしました。

中学校の先生たちからは結構怒られました。安かろう悪かろうで生徒募集をするとは何ごとだと言われました。

でも同時に、ここの生徒たちをどうやったら元気づけられるんだ、ということを考えていました。確かにオンボロかもしれない、施設は古いかもしれないけども、でもそこにいるのは決して悪くない生徒たち、でも褒められたことがない生徒たち

その生徒たちと一緒に、どうやって学校や校舎という、このアパートを元気づけられるのか。そんなことを考えて、一生懸命やってきたのが最初の1年目だったと思います。25万円の入学金を無料にするというのは簡単な話ではもちろんありません。

理事長や理事会が適切な経営判断をすることの重要性

ちなみに、これは私学の先生方に通用する話で、公立はちょっと違うんだと思っていますが、 私学の場合、組織体系を企業に例えると、校長というのは、実際僕もやってみて、取締役、営業本部統括部長みたいな、それぐらいな感じがしています。

理事長が代表取締役社長です。実は理事長というのが、私学の場合は一番重要です。校長の指名権を持っているし、大きな予算に対しても決定権を持っていますから。

僕、本当は思っているんです。今日どれだけ学校現場の先生方が来ているかわかりませんが、本当はこういう場所にも、理事長とか理事会とか、きっと公立も教育長とか教育委員会とか、そちらの人たちが来てこういう話を聞いて、経営のために何をしなきゃいけないかという判断をしなきゃいけないんだと思います。

僕の感覚では、現場の先生、教頭先生、副校長先生、校長先生。誰もみんな頑張っています。決して間違っていない。

でもその頑張りをちゃんと認めてあげて、エンパワーメントしている経営者がどれだけいるか。もしも先生方の学校の経営がうまくいっていないとしたら、それは理事長か、教育委員会というのはちょっとよく見えないんですけども、そこの問題だと僕は感じています。

もちろん校長にも相当裁量権はありますけども、大きな予算、例えば入学金25万円をなくすなんていうのは、これは大きな経営判断ですから、もちろん校長では判断がつきません。

理事長と理事会の承認が必要です。僕の場合、理事長は父ですけども、ここはガチンコの勝負です。実は理事会では大げんかをしながらいつも進めているんです。

考えてもみてください。政治家が理事長で、しかも野党の政治家で、息子が校長で、何か悪いことが起きちゃいそうな感じで、すぐにマスコミに書かれそうな感じでいっぱいですよね。

僕は上場企業で働いていましたので、コンプライアンスと情報公開に関してこれは徹底しようということで、学校の話は一切家でもしないように父にも言っています。理事会でガチンコでやろうという話をして1年間やってきています。おかげで親子の仲はむちゃくちゃ悪くなりましたけども、学校はものすごく良くなりました

(会場笑)

役割としてはそれでいいんだというふうに思っています。

「諦めること」は現状を全て認めること

学校として何をやってきたかというハウツーの話は、教頭先生が全国の大学を回って、新陽高校ってこういう高校ですというのを説明するために配布したチラシがあって、そこに書いてあります。

ちなみに44個ぐらいのことをやりました。先生たちには本当に大変だったなとは思っていますけど、それぐらいのことは逆にできる余地があったのだと思っています。

でも、もう一度申し上げますけども、何をやるかというのは決して大事じゃないと思っています。それは、先生方のところにもたくさんのヒントがあるし、すでに実践例はたくさんあるし、たぶんお考えのもので僕は正しいんだと思っています。

でも僕が校長になるときに、水俣の吉本哲郎さんという、水俣病のときの担当の市の課長さんだった人に連絡を取りました。彼は本当に悩みながら、苦しみながら、水俣病に罹患された方と、逆に罹患しなかった人たちの二項対立に向き合いながら頑張られた方なんです。

彼に、おじいちゃんのつくった学校の校長になります、ソフトバンクを辞めて校長になりますとメールを送ったら、返ってきたのが、この3つでした。

あきらめろ! 覚悟しろ! 本物を作れ!

(会場笑)

これ、僕すごい言葉だなと思って。今これ毎回どこでも言っています。やっぱりこの諦めることってすごい。つまりこれは、現状を全て認めることだと思うんです

よく学校現場って、すぐ校長が悪いとか、教頭が悪いとか、言いがちです。うちの父が理事長になって最初にとったアンケートでは、先生たちも結構辛辣にいろいろと書いていました。生徒が悪いとか、保護者が悪いとか、もしくは先生が悪い、理事会のビジョンがないとか。

そうやって人のせいにするんです。割と大人はみんなそうです。頭のいい大人は特に。だけど、こう言っている限りは何も進まない。諦めろというのは、これを全部認めること。僕も、学校はもともと経営がすごく苦しいんですけど、これは全部僕のせいだと思っています。

おじいちゃんがつくっちゃって、荒井家も何も考えずにやってきていて、これはきっと僕のせいなんだろう。でもそこから始めよう。だから、この学校の現状は、僕は全部諦めて受け入れています。

でも覚悟してきている。だからこそ、本物をつくろう。これに尽きるんだと思っているんです。そんなふうにやってきています。

生徒が増えると、先生たちも変わる、学校の雰囲気も変わってくる

これは今年のYOSAKOIソーランが終わった後に、先生たちと一緒に撮った写真です。みんな最初はすごい反対していましたけども、終わったら、先生たちも泣きながら、本当にやれるとは思わなかったと言ってくださって。これはこれから毎年、1年生の伝統にしていこう、そんな感じでやっています。

生徒が増えてくると、先生たちも変わってくる。先生たちが変わってくると、道立の先生なんかからも、公務員を辞めて新陽高校で働きたいと、そんな声もたくさん出てきたりしています。

学校って、僕の結論から言うと、1年で十分変わるんだと思っているんです。それは、もう1回言いますけども、覚悟だと思っています。

進路状況に関しては、新陽高校って去年まで、国公立、短大への進学は、3年生約200人に対して、これぐらい(7名)なんです。

でも今年は、29名の子たちが受験をする予定です。今までは就職か、行けても専門学校だったという子たちに、そんなことないよ、君たちも可能性は十分あるんだということを言っています。

まさに今日のL型の話じゃないですけども。別にG型で東大に行ったって駄目なものは駄目なんだから、君らにはもっと可能性があるんだよって。その先の話をすると、みんな目を輝かせて頑張ります

もちろん、ここからどれだけの子が受かるかというのは別の問題ですけども、でも受けようと思っている意志が出てきているということは、確実に学校の雰囲気が変わってきているんだと思っています。

物語に学ぶ、どんな旅もいつか必ず立ち上がって戻ってくること

僕は毎日校長室で、学校とは何なのかと、そればっかり考えています。僕は授業を教えることもできませんし。ですので、先生たちの授業を見て、ああだこうだ言うのも控えています。

学校とは何なのか。そう考える中で、僕は学校というのは、古くは物語だったんだろうと思っています。

つまり、今日すずかんさんが言っていたように、近代300年で確かに学校というのはできましたけれども、それよりもっと古くには、子どもを育てて大人にしていくという機関はどこが担っていたのかというと、僕は物語とか神話の世界だったんだろうと思うんです。

おばあちゃんが、古い物語を孫たちに伝えていく中で、子どもが大きくなっていったのだというふうに感じています。

だから最後に、桃太郎の話を説明させてください。簡単に言うと、桃太郎の話の中には、四つの力があると思うんです。そもそもどんな人から生まれたのかわからないのに、彼には自己肯定感がある。育ててくれたおじいさんおばあさんを大事にするという、自分も大事、相手も大事にするという、この自己肯定感がものすごくあります

自分で旅をする、鬼を退治するという目標を決めて、それをやりきるわけです。グリットがある。そして、鬼退治にしても、たぶん相当大変な戦いだと思いますけども、この戦いに、どんなに苦しくても最後は勝ち抜く、立ち上がる力があると思うんです。

僕は東北の震災で、この立ち上がる力というのが、人間では根幹的に一番大事なものだと感じました。聖書だって仏典だって、ありとあらゆる人類の知識の中で、「生き残ったあなたは、あなたこそが頑張らなきゃいけないんだ」ということをずっと伝え続けてきているんです。

この立ち上がる力を、東北でたくさん見てきました。全部失った人が立ち上がる瞬間。やっぱりこの立ち上がる力というのが大事だということを、桃太郎の中でも言っていると思います。

そして、鬼を退治してみたら、お姫さまがいて、宝物があって。でも彼は、鬼ヶ島の桃太郎王にはならなかったわけです。彼はそれを持って地元に帰って、おじいさんおばあさんと平和に仲良く暮らしました。

彼の本当の課題というのは、自分を育んでくれたその土地に帰って、そこで静かに暮らすことだったわけです。この行って帰ってくる物語、 なわけです。

人類は、こういう物語をずっと若い子たちに伝えてきた。みんないつか行って帰ってくる。いろんな旅があるし、途中で挫折もするかもしれないけど、立ち上がって必ず戻ってこい、ということを伝え続けている。

この300年間、今はそれを伝える役目を学校が担っているのだろうと思うと、学校でこの4つの力をどうやって育んでいけるのか、というと、僕はこれを生きる力なんだと解釈して、生徒や先生たちに話しているところです。時間が来ましたのでこれで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

MANABI MIRAI MEETING 2017  札幌新陽高等学校 荒井 優 校長 ~素人が校長に着任して1年目で生徒数が倍になったのはなぜなのか? 2年目はどうなのか?

2017年9月23日に、リクルート本社ビルにて開催されたMANABI MIRAI MEETING 2017。半歩先の教育のカタチをみんなで考える場として、多くの教員の方々にご参加いただきました。

産業界から急遽、祖父がつくった高校の校長に転身することとなった札幌新陽高等学校の荒井優校長。着任して1年目で生徒数が倍になりました。そこにはどんな理由があったのか。荒井先生は、「大切なのはハウツーではない」とおっしゃいます。今、教育業界に限らず重要なのは「覚悟」を持つことだとも。教育とは何か。誰のために学校はあるのか。そんな根源を考えさせられる素晴らしい講演です。

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